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(前編)本気じゃなければ、地方創生なんてできない。

(前編)本気じゃなければ、地方創生なんてできない。

【LASSICアンバサダー】仙台 山下 拓郎

プロフィール

LASSICアンバサダー 仙台(仙台拠点長) 山下 拓郎
1976年   岩手県生まれ。39歳。
盛岡市で生まれ、小4まで宮城県東松島市で育つ。その後、東京都昭島市で22歳まで暮らし、結婚を機に町田市や神奈川県横浜市にも住む。
野球でのオリンピック選手を夢見て社会に出てからは社会人野球クラブチームに所属するも、故障により断念。IT業界にキャリアチェンジし、以降、戦略企画畑を歩む。
東日本大震災を機に、故郷に戻ることを決意。
2015年4LASSICに入社し、仙台拠点長として帰郷。
東北の事業拡大を目指し、ニアショア開発事業、地域イノベーション事業を展開。現在、Webシステム、モバイルアプリケーション開発を中心としたニアショア開発プロジェクトのプロジェクトマネージャーを担当する傍ら、東北エリアの地方自治体との提携を推し進め、地域イノベーション事業を積極的に推進している。

20154月、LASSICLASSICアンバサダー仙台(仙台拠点長)として入社し、拠点運営とLASSICの経営理念である「ITで、地方創生」の東北先鋒として精力的に活動してきた山下に、仙台での事業活動や地域のご支援についての想いを聞きました。

 

-簡単に自己紹介をお願いします。

1976年、岩手県生まれ、39歳です。IT業界での経験は15年ほどで、主にプロジェクトマネジメントと、プロダクトやサービスの戦略企画を担当してきました。
故郷の宮城県に戻りたいと転職活動をしている中でLASSICと出会って、20154月に仙台拠点長として入社しました。
仙台オフィスの開設から始まり、収益基盤となる案件の獲得に奔走して、今は各プロジェクトのマネジメントをしつつ、地域イノベーション支援の分野にも力を入れています。

 

-高校卒業して、すぐに就職されたんですね。

早く社会人になりたかったんです。子どもの頃から野球バカで、プロ野球選手じゃなくてオリンピックの日本代表になるのが夢で。金メダルが欲しかったんです。だから早くその道に近づきたくて、社会人野球の道を選びました。車も買いたかったし(笑)。

就職した先は学校法人だったんですが、スポーツビジネスのインストラクターや高校の立ち上げ、スポーツ特待生制度を作るなどの業務や硬式野球部の監督をしながら、クラブチームに所属して野球をやっていました。

 

IT業界に転職したのはなぜですか?

23歳くらいの時に右半身がうまく動かなくなってしまったんですよ。原因不明なんですけどね。野球で身を立てていくことをあきらめざるを得なくなってしまって、それで、ちょっとフィールドチェンジしてもいいかな、と思うようになったんです。

ちょうどその時、勤務先の学校があった錦糸町(東京都墨田区)の駅前に本社ビルを建てているシステム会社があって、いつも、「でかいなぁ!」「いぃなぁ!」なんて思ってて、そこが求人を出してたので、勢いで受けたら受かっちゃいました(笑)。未経験で300人とか中途を採ってた時代でした。

 

-あのIT幕開け時代ならではの、いきなりのキャリアチェンジですね。エンジニアを目指したんですか?

いやぁ、でももう最初の研修で「あ、プログラミングは無理だな」と思いました(笑)。まったくわけが分からなくて(笑)。ただ、システムを作ること自体には魅力を感じていたので、SEの道を選びました。

テクニカル・サポートからスタートして、プロジェクトリーダーをやるようになって、その後、サービスやプロダクトの企画・戦略に携わるようになりました。

受託事業が主軸の会社だったので、そのままだと受託系の業務を担当することになるんですが、私はできるだけ何かを企画して創り出す仕事がしたかったので、社内公募に応募したりして、企画開発に携われるようにしていました。

ちょうどその会社で10年経った頃に、流れとご縁があって、自社プロダクトを持つ会社に転職しました。2010年、35歳になる少し前くらいですね。

そこからは、ほぼ企画畑でやってきました。

山下拓郎

宮城県丸森町 蔵の郷土館 齋理屋敷を改装したCULASTAの前で

 

-その2度目の転職から一年後くらいですね、東日本大震災が起きたのは。

そうです。

なので、震災が起きた直後の半年くらいは、仙台で仕事してたんです。仙台にアパートを借りて、実家の復旧をしながら仕事してましたね。会社も、行って来いって言ってくれて。実家の復旧と、それから、仙台の復興支援をして来いって。それで行かせてもらいました。

実家は全部流されてしまったので、最初の3ヶ月くらいはずっと流された家のものを探すのが精一杯でしたね。

半年経って、少し目処がついたというか、行政や各方面の支援が始まったので、両親を連れて横浜に戻って来ました。ま、両親は空気がまずいとか言って、すぐ帰っちゃいましたけどね。それからは、月に何度か仙台に通うという生活を続けていました。

 

-震災を機に、地元に戻ろうと決めたんですか?

震災が起きたことで、「戻ろう」という気持ちが大きくなったというのはあります。

いつかは実家を継がなくてはいけなかったので、いずれ戻る予定だったんですが、それが早まった感じですね。

色々時期を見計らっていて、2014年の年明けくらいですね、子どももある程度大きくなったし、そろそろだな、と戻る決意を固めました。

その年の終わり頃に転職活動を始めて、エージェントからLASSICを紹介されました。

仙台に拠点を作ることが決まっていて、メンバーも採用されていて、あとは拠点長だけ、という段階でした。

 

-そこに、仙台に帰りたい山下さんが現れた。すごいタイミング、運命ですね!

そうなんです(笑)。

 

LASSICを選んだ理由は何ですか?

紹介されてから決まるまで約3ヶ月、ほぼ毎週LASSICの人と話してました。色々な人に会う度に「あぁ、いいなぁ」と思ってたんですが、若山(代表取締役社長)と会って、もう、即決でした(笑)。

50の地域に1,000人の仲間を」の中期経営計画や理念を語る熱意がすごくて、「かっこいいなぁ!」「この人本気だな!」と。「じゃぁ俺もやってやるよ!」という気になって(笑)。それで決めました。

 

20154月に入社、仙台へ拠点長として赴任されましたが、どんなスタートでしたか?

まずはオフィスの開設、そして営業活動ですね。

ただ、営業に関しては、ほとんど話も聞いてもらえない状況でした。仙台は大都市ですから、すでに産業のマーケットが確立していて、そこに割って入るのは至難の業なんですね。親戚のコネクションを使ったりもしましたが、「なんで鳥取の会社に発注する必要があるの?」という。

入社した時に新調した靴が1ヶ月でダメになるくらい動き回ったんですが・・・全滅でした。

でも拠点運営の基盤を確保しなければいけなかったので、結局、東京のお客さまへの営業に切り替えて、お仕事をいただいて、東京の開発案件を担当させていただくことでようやく安定基盤を作ることができました。もちろん、営業活動は今も継続していますけど。

 

-その後、201511月に東北で起業家育成を主軸事業とされている(社)MAKOTOさんと地方創生事業で業務提携、そして、20162月には、宮城県丸森町との移住定住パートナーシップ協定の締結、と、「ITで、地方創生」につながる活動を進めて来られました。

MAKOTOさんは仙台に拠点を置いて活動されているんですが、前職時代に代表理事の竹井さんと知り合って、仙台に来たら何か一緒にやりましょう、という話をしてたんです。仙台に来たタイミングで会いに行ってLASSICの紹介をして、それなら一緒にできるね、ということで業務提携させてもらいました。

 

-丸森町さんとの取り組みについて教えてください。

丸森町さんはMAKOTOさんからご紹介いただきました。

丸森町さんは、外の力を借りることで町を発展させよう、ITで町を活性化しよう、ということをすごく考えている町で、、そして、世界で一番尖ろうとしている町です。

そんな丸森町さんに、LASSICとして支援させていただきたいことを何度もご提案させていただいて、真摯にお話をお聞きいただいた結果、LASSICと一緒にやりたいと言っていただけました。

協定は、移住者・定住者を増やすことに協力していきましょう、というものです。LASSICは町に移住するIT技術者の呼び込みや技術支援をし、町を活性化するようなITプロジェクトを進めるなど、IT支援を進めていきます。

その最初の取り組みが、丸森町の「地域おこし協力隊」です。

「地域おこし協力隊」を採用して、丸森町に移住してもらう。そして、地域に貢献できるスマホアプリを開発していく予定です。

もちろんそれ以外にも、「移住定住」と「IT」をキーワードに色々なことをやって行く予定です。取り組みはこれからですね。

 

-ところで、東北の子どもたちの野球指導をしているそうですね?

はい、やってます。「野球指導」なんて大仰に言うとなんかちょっと恥ずかしいですけどね(笑)。

震災で生活が困難になっている状況でも、子供には明るい毎日を過ごさせてあげたいという気持ちがあって、震災以降、個人で東京から東北に出張って親子教室とかしてたんです。震災経験した人って少なからずストレスがあって、生まれてくる子供にも影響あるんじゃないかと思っていて。

仙台に移住してからも活動してみようと思い、今も仙台市内の少年野球チームを周って、指導させていただいています。

この春からは、仙台市の総合型地域スポーツクラブと協力して指導をしていくことになっています。

いつかはキャンピングカーを買って、東北の少年達と泥んこになりながらスポーツして、LASSICの拠点を巡りながら仕事をして、仲間と過ごしたいです。それが夢ですね。


後編はこちらから
【後編】(後編)本気じゃなければ、地方創生なんてできない。


野球指導する山下拓郎

(記事の内容は、20163月現在のものです。)


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